久子が残した「光一について話してないことがある」という言葉の意味
遥は、久子の日記を閉じることができなかった。
指先には、古い紙の感触が残っている。
そして頭の中では、あの一行が何度も繰り返されていた。
――「光一について、孝子にはまだ話していないことがある。」
その先のページは破られている。
誰が破ったのか。
なぜ破ったのか。
そして、そこには何が書かれていたのか。
遥は日記を胸に抱いた。
「伯母さん……あなたは一体、何を知っていたの?」
その時だった。
玄関の方から、微かな音がした。
カタン――。
遥は顔を上げた。
家の中は静まり返っている。
時計の秒針だけが、やけに大きく聞こえた。
遥はゆっくり立ち上がった。
一歩。
また一歩。
廊下を進む。
玄関のドアが、ほんの少し開いていた。
「……誰?」
返事はない。
遥はドアを閉めた。
そして振り返った。
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
テーブルの上に置いていたはずの日記が――
開いている。
しかも、遥がさっき読んでいたページではない。
破り取られたページの直前。
遥は日記に近づいた。
ページの隅に、鉛筆で小さく書かれた文字があった。
「探すな。」
遥の呼吸が止まった。
その文字を見た瞬間、誰が書いたのか分かった。
光一だ。
謎を解くカギとなる、一枚の封筒
翌朝。
遥は孝子を呼んだ。
「これを見て」
日記を見せると、孝子の表情が変わった。
「光一……?」
「たぶん」
「でも、どうして今になって……」
遥は答えなかった。
その時、インターホンが鳴った。
二人は顔を見合わせた。
玄関を開けると、そこに一人の男が立っていた。
以前、久子の封筒を持ってきた男だった。
遥の顔を見ると、男は静かに言った。
「まだ、これを渡していませんでした」
男が差し出したのは、古い封筒だった。
宛名はない。
遥の手が震えた。
「これは……誰から?」
「久子さんです」
「姉から?」
「はい」
男はそれだけ言うと、深く頭を下げた。
「ただ、久子さんから一つだけ言われています」
「何を?」
男は遥をまっすぐ見た。
「この封筒は、家族が本当に必要とするときまで渡すな、と」
遥は封筒を受け取った。
ずっしりと重かった。
中に何が入っているのか。
紙一枚なのか。
それとも、別紙なのか。
遥は封を切った。
中から出てきたのは――
一枚の鍵だった。
そして、小さな紙片。
そこには住所が書かれていた。
遥はその住所を見て息を呑んだ。
そこは、光一が最後に暮らしていた場所だった。
光一の昔住んでいた部屋では何が?
遥と孝子は、その場所へ向かった。
古いアパートだった。
光一はすでにいない。
しかし、管理人に事情を話すと、一つの部屋に案内された。
「荷物を一つだけ残していったんです」
部屋の中は、何もなかった。
家具もない。
生活の痕跡もない。
ただ、床の隅に古い机が残っていた。
遥は鍵を差し込んだ。
カチッ。
引き出しが開いた。
中には一冊のノートと、何枚かの書類。
そして――
封筒。
遥は封筒を見つめた。
表には、久子の字でこう書かれていた。
「遥へ」
遥の胸が詰まった。
ゆっくり封を開ける。
中には、一枚の手紙が入っていた。
「遥。
この手紙を読んでいるということは、私の心配していたことが起きたのでしょう。」
遥はそこで読む手を止めた。
久子は、すでにすべてを予想していた。
「光一は、悪い人間になったのではありません。」
遥は息を呑んだ。
「弱さを隠すために、悪い人間になろうとしているのです。」
その一文が、胸に突き刺さった。
「お金を失った。
仕事を失った。
人とのつながりを失った。
そして、自分自身を失い始めた。」
「そんな光一に、私は何度もお金を渡しました。」
「でも、彼は変わらなかった。」
「だから私は、最後に一つだけ決めました。」
次の文章を読んだ瞬間、遥の目から涙が落ちた。
「光一には、もうお金を渡さない。」
「でも、見捨てない。」
「それが、私にできる最後のことだと思っています。」
